悔恨と骨
生きて来た中で後悔した出来事がいくつあっただろう。
今まではそんな事があっても
次は悔いのな無いように気を付けようと思い
過ごしてきた。
だけど今は、
人生最大の喪失感と悔恨。
息子が亡くなってこんなにも残酷な悔恨はない。
そして、幾度も繰り返し悔いる思い。
多少の失敗はどうにかなるが
もう息子との事は、この現実の中で過ごすチャンスは無いゼロなんだよね。
1%もありえない事。
本当に本当に悲しい。
そう言えば
「死ぬ事以外はかすり傷」
そんな言葉を何処かで聞いた…。
しかし、愛する人を亡くす事は
かすり傷どころではない。
言葉でたとえるとしたら、
どんな言葉になるのか?
今日は松方弘樹さんの訃報で
梅宮辰夫の言葉に涙してしまった。
人間ってこんなに簡単なのか
死んだらおしまい
息子が骨になった時を思い出した。
ほんの45分くらいで
何これ!
何よこれ!
思わす声に出してしまい。
震えが止まらなかった。
肉体が無くなった。
もう見ることも触れることも出来なくなった悲しみ。
なんでこんな事になったのだろうか?
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